社会人大学卒業論文
やっぱり、この本最高!
しつこくてすみません、若林氏の感性ドツボです。
好きに理由なんてない。いや無理やり考えれば
沢山あるけど、もう理屈じゃないんすよね。
本当に、ベッキーさんと付き合ってても全く可笑しくない
と思いますね、若様クラスの方なら。
で、今日も読み返してたら、最後の卒業論文の所が引っかかりました。
そこで、彼はこのように語っています。
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夢を追う人間が社会参加の時に必要なものを「結果」だと思い込んでいた。
それを求めて、または、翻弄されて8年間を社会参加せずに過ごすこととなった。
「結果」には即効性がある。
社会参加することができたり、エアコンや風呂やルンバをもたらしてくれた。
だけれども、結果は値がすぐに変わる。いや、下がるんだ。
「結果」というものを唯一の社会への参加資格としていたならば、
値の変動に終始一喜一憂したまま人生を送っていかなければならない。
ぼくは、「結果」以外の基準を探そうと思った。
(中略)
特にすごい訳じゃなく、特にダメじゃない。
そんな自分の自己ベストを更新し続ければ「結果」があとから
やってこようがこなかろうがいいじゃないか。
特別な才能が無いから自己ベストを更新し続けるしかないという
諦めは、ぼくにとって自信になった。
その自信は不思議なことに、自分と社会というものを隔てていた
黒い海の水を引かせて、往来を可能にした。
唯一の参加資格と信じていた結果というものを必要とせずに
自分と社会を渡り歩くことができる。
社会が自分を拒絶していたのではなかった。
自分が社会を拒絶していたというオチだった。
これからも、結果は出たり出なかったりするだろう。
だけど、自分にできることは常に過程を紡ぐことだけだ。
そう。社会なんて自己ベストを更新していくだけでいいという
自信さえあれば自由に参加していい場所だったんだ。
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長くなりましたが、今の自分にもスゲー響きました。
自己ベストの更新。
自分の感覚を信じ、地に足つけて
その日に持ち合わせている力を使い果たす。
うん、それしかないっすね。